人は食べすぎに注意できるのか?

食欲の秋に抗う術を考える

どうもこんにちは!
本日もあんばい整体院のブログへお越しいただきありがとうございます。
 
昨日もお伝えしましたが、
あんばい整体院院長の仲西は食いしん坊です。
ですので、これからの季節は非常にご機嫌というか、テンションが上がるというか篠山にお住いの方なら解っていただけるかと思いますが「あじまつり」という響きも大好きです。
 
この人間の持つ三大欲求がひとつ「食欲」
 
なかなかに抑える術を持たず苦しむ場面も出てきますね。
かくいう僕も偉そうにいろいろお話させていただいたりしていますが、こと食欲に関しては手なずけることに苦戦しています。
そんな暴れ馬?的食欲について今日はつれづれなるままに考えてみたいと思います。
 
 

本題です


「食欲の制御」というものは果たして可能なのか?と考えたとき
ふと感じたのが「制御」という言葉です。

なんというか、コントロールしようとするその姿勢自体に食欲に手を焼く原因が隠れていそうに感じるのですね。
 
例えば湧きあがる感情を無理に抑え込もうとするとそこに一種の“圧”がかかります。
その“圧”をなんどもなんども加え続けるとそのうち圧が高まり過ぎて大噴火!みたいなことが起こるのは、感情などにも言えることのように思います。
いわんや三大欲求をや(三大欲求ならなおのこと、の意)
 
 
そもそも、押さえつけるとか、言うことを聞かせるとか、なんというかワタシという自我のなんとなく上から目線の抑圧的対応というのが食欲との和解を妨げているというか、そんな印象をうけるのです。
 
 

食欲の否定抑圧が別の形で食べる正当性(言い訳)を創り出す仮説


そもそもの話、根底には「食べたい」が存在していて、その欲求自体を「太る」とか「健康に悪い」とかいう正しさで押さえつけても生存欲求である食欲を抑えることはできず、結果的になんか正当性がありそうな理由を思いついたり、考えることがどうでもよくなって食べてしまう、ということはよく起こります(僕の場合)
 
だとするなら、抑圧は「食べたい」を鎮める有効な方法というよりは逆に火に油を注いでいるのかもしれませんね。
 
 
それと、「空腹」というものをどう捉えているのか?も関係がありそうな気がするのです。
例えば空腹が×なのだとしたら、お腹が空くことは悪いこと、だから食べないと!みたいに空腹をよくない感覚と捉えてしまうことで「食べなければいけない」という意識を創り出してしまっているのかもしれません。
 
 
そこらへんのヒントになるかもしれないな、と感じたのは、ある本の中に書いてあった「空腹感を楽しむ」という一文。
これ、僕にとってはとても新鮮に感じたのですが、不快感のカテゴリに入れていた空腹感を楽しむ対象、観察する対象にしてしまう事で空腹という状態から抜け出さなければ!!っていう感覚がすごくやわらいだのです(僕の場合は、ですが)
 
ものごと出来事をどういう視点から見るか?捉えるか?でものごと出来事の意味は変わります。
ふだん人には結構しっかり伝えてる部分ですが、それを空腹感に対して使用するというのは見えていませんでした。おもしろいな~!と思いました。
 
 
今回の場合は「食べたい」という欲求といかに向き合うか?対話するか?と考えていたのですが、空腹感の捉え方を変えることでなんか突破口見えてきそうじゃないですか?
 
ここら辺の実践の結果はまたいつか報告させて頂きます、忘れてたらコメントからリクエストお願いします。
ぜひあなたもこの感覚を試してみてどうなるか教えて頂けると嬉しいです。



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